SNSでしゅきぴへ惚気るわけ
私はつくづく恋愛に疎い人生を送ってきたと思う。
元々、容姿が決して優れた訳でもなく、異性を引きつけるカリスマ性のある性格があった訳でもなかった。
このすべてが後の恋愛への布石であり、こんな普段は冴えない私だけどフトした瞬間に眼鏡が外れて、
実は美形な素顔がそこにあってあれれ、といった具合に少女漫画のような展開が待っていたのならばまたもう少し救いようがあったのだが
どうやら私の人生はそんなドラマチックには出来ていなかったようである。
「友達としていい奴、」とか「まぁ悪い人ではない、」「えーもてそうなのに〜」
辺りが今までの私への評価の常である。
まぁ、その評価を真に受けてまんざらでもない顔をしていた訳だが。
話は戻るが、そんなだから生まれてから、大人になるまで
ちゃんとした恋愛というものが出来た試しがなかった。
モテないというのは良くない事である。
こんな当たり前の事を認めなかった為にかなり損をしていたと思う。
恋愛をしてこなった私は、まだ見ぬ素敵な相手に想いを馳せ、どんどん恋人のハードルが高くなっていったのだ。
高くなり過ぎたハードルはそのうち地雷に変わった。
社会的地位、顔面偏差値、性格、喋り方、休日の一致、過去、好きな歌手
例えどんなロマンチックな出会いがあろうと、これらの地雷を一つ踏み抜こうものなら淡く抱いた恋心など、木っ端微塵。チリと化していった。
例えいい人がいたとしても、この高過ぎるハードル故に恋人は出来ず、さらに恋人が出来ない期間が延びたせいでハードルはまた高くなる。
正に負のスパイラルである。
そして恋人ができないのは、自分のせいではなく環境の問題であると周りに呪いを撒き散らす。
気が付けば自分から、恋愛の扉を閉ざした癖に、恋愛をしている周囲を僻む悲しきモンスターが誕生していた。
さて、前置きが長くなったが
しかし、こんな私にもある日春が来た。
顔を見れば赤面し、話しているだけで、ふヒヒと口が緩んでしまう
そんな、思わず惚気がにじみ出てしまうような人に出会ったのである。
まぁ、だからといって、この後怒涛の如く惚気るつもりも、
会員限定の秘密の恋愛テクをお教えするスパムURLへ誘導するつもりもないのでどうかもう少しお付き合い頂きたい。
今回はSNS上で惚気発信する人の心理と対処法を私の経験を元に取り上げてみる。
私は今まで、SNS 上で惚気を発信する人種に対しては
はて、この人は周りからヘイトを集め、同意を得られない事が分かりきっているのに
この人は一体どうして、裸で太陽圏突入する様な真似を日々しているのだろう?
と常々疑問、そして時に怒りを抱いてきた
しかし、『こんな私も愛を知る事で変わる。』
この一言だけ見ると、なんとも某ネズミ系統作品の宣伝文句の様で素敵ではないか、、
さて、話は戻るがある時好きな人が出来た。
ただ、好きな人が出来ただけではない、今までとは一味違う、超超超、脈ありの好きな人が出来たのである。
告白こそしてはいないが、愛を囁けば、同じだけ愛をささやき返してくれるし、ハートマークを送ればハートマークが帰ってくる。
他人にはとてもお見せできないがとりあえず、
「会いたい」とか「イチャつきたい」といったワードを含めた文章を送らなければ負けてしまうというルールのIQ3レベルのメッセージゲームをこの方と続けるに至った。
それも毎日。
朝起きたらハートマークを送り、会えない日は必ずまた会いたいと囁く
そんなスマートフォン内の閉鎖空間だとしても、許されざるドブネズミすらゲロ吐いて卒倒するような身の毛のよだつ極甘なやりとりが、そのうち私の日常となった。
ここまでなら、まぁ三千億歩譲って微笑ましくもあるのだが、
この時にはもう既に私の頭は蝕まれていた。
問題はここからである。
スマートフォン内の二人のラインという超閉鎖空間とはいえ、
このゲロ甘なやり取りも
それが毎日となると、段々と他のSNSとの区別ができなくなってくる
頭では分かっていても、だんだんとその境界線が薄くなってくるのだ。
この『しゅきぴとの閉鎖空間』と『公共のSNS』との境界線が薄くなるとどうなるか
そのうち、ふと同じスマートフォン内で、普段としゅきぴとするのと同じような感覚でなんの抵抗なく、
別のSNSなどでしゅきぴへの惚気を発信してしまうのである。
ここまでくれば、もう完成。
聞かれてもいないのに、バッチリSNSで惚気を発信するモンスターが誕生した。
これがSNSで惚気る輩の心理状況である
人間、一度足を踏み外せばもう止まらない。
極甘IQ3 のやりとりが日常と化している為に、例え周りから、このクソみたいな惚気を非難されたとしても無邪気な顔してながら
いましゅきぴへの想いがいつも通り出ちゃったけど
どうしてみんなそんな怖い顔してりゅの??
もしかして嫉妬??
とすっとんきょうな疑問符を頭に浮かべるのだ。
他人の惚気なぞ犬も食わぬと
という概念がもう麻痺しきっている。
私は、愛を知り、この状態まで自分が追い込まれたからこそ分かる、
この手の人間には最早手がつけられない。
何を言われ、石を投げられたとしても、愛を知らぬ者の嫉妬だとう超解釈で跳ね除けてしまうのだ。
攻守最強。
もう、攻略の手立てなどない。
このカップルの二人の熱が冷めるか、どちらかがフラれるのを待つ事位しか外野からできる事はないのだ。
ちなみに、私の場合はというと
先程紹介した私のしゅきぴは、その通り熱が冷めて、その内連絡を取り合わなくなった。
鉄は熱い内に打てというが、正にその通りだと思う。せめて熱い内に、あの時告白していれば、また別の世界を歩いていたのかと
ふとそんな後悔の念に駆られる時がある。
さて
惚気のメカニズムを知った所で、愛する二人に対して私達が出来ることなど何もないのは先程述べた通りだ。
結局、惚気野郎に対して我々に出来ることといえばそっと破滅を祈る事位である。
ただ、例えそうだとしても
惚気続けられるのは非常に感に触るので
惚気を発信してくる人間に対しては、遠慮なく石を全力で投げつける。
そんな世の中であって欲しいと私は思う。